「義経記」の中のどんぐりの木
2009 / 09 / 28 ( Mon )
義経記の中には、カシ、クヌギ、シイがでてきます。

<カシ>
いちひの木を以って削りたる才棒の、八角に角を立て、
元を一尺ばかり丸にしたるを引き杖にして、・・・


イチイガシの木を削って作った才棒を、八角に角を立て、
手元の一尺ほどを丸くしたものを杖を引きずるように持ち・・・
というような意味です。


羽をば切らで樺矧に矧いだる矢の、いちひと黒樫と強げなる所を拵へて、

羽を切り揃えずに檀(まゆみ)の甘皮で巻いた矢で、
イチイガシとクロ(アラ?)カシの丈夫そうなところでこしらえて
というような意味です。


船腹のいちひの木割を十ばかり、
十四五射立て置きたりけらば、水一杯入る。


船腹に、イチイガシの木割(木製の鏃(やじり))を十本ばかり、
十四、五本も射立てておいたので、水がいっぱい浸入した。


<クヌギ>
長炭櫃に、行い人の仕業と覚えて、櫟を打ち切り打ち切りくべたりけるが

長い炭櫃に、修行者の仕業と思われ、櫟(クヌギ)を折ってはくべしてあったが、
というような意味です。


<シイ>
椎の木の四枚楯突かせ、矢比にぞきしり寄せたりける。

椎の木の四枚(を継ぎ合わせて作った)楯を持たせ、射程距離まで攻め寄せて来た。
というような意味です。


後ろの椎の木に沓巻責めて立つ。

後ろの椎の木に、沓巻(鏃を止める糸を巻いたところ)までいっぱいに深く突き立った。
というような意味です。


軍記物にはどんぐりの木が武具の材としてでてくる場合が多いですね。
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「太平記」の中のどんぐりの木
2009 / 09 / 25 ( Fri )
太平記の中には、シイ、カシワ、カシなどがでてきます。

<シイ>
その夜は、椎柴垣の間あらはなる山奴の庵に、御枕を傾けさせ給ひて、

その夜は、椎の木立が垣を作るすき間だらけの木こりの小屋におやすみになられ。
というような意味です。


椎の葉折り敷きたる折しきの上に、かれいひ盛りて持ち出で来たり。

椎の葉を折り敷いた折敷の上に、干飯を盛って出てきた。
というような意味で、北条時頼が日本中を歩いていたころ、
摂津国、難波の浦の落ちぶれ荒れた尼の家に泊めてもらったときのお話の中です。

旅での食事を椎の葉を敷いて出したのは、春の深山路などにもでてきましたが、
家に器がないほど落ちぶれていたのでしょうか。、

<カシワ>
紋としての柏(かしわ)がでてきます。
「北なる峰に三葉柏の旗の見ゆるは、敵か御方か」と問ひ給へば、
「熱田大宮司、百騎にて待ち奉る」とぞ答へける


「北の方の峰に、三葉柏の旗が見えているが、あれは敵か味方か?」とお尋ねになると、
「熱田大宮司が、百騎でお待ちしております」と答えるのであった。
というような意味です。

二番に進みける栗生左衛門は帯副の太刀がなかりける間、
深山柏のまはり一尺ばかりなるを、一丈余りに打ち切って、
金棒の如くに見せて、右の小脇にかい挟みて、大勢の中に破つて入る。

二番目に進んだ栗生左衛門は深山に生えていた柏の周囲一尺ほどの木を、
一丈ぐらいの長さに切って、それを金撮棒のように見せかけて
というような意味です。

<カシ>
五尺三寸の太刀に、樫の木の棒の八角に削りたるが、
長さ一丈二、三尺もあらんと覚えたるを打ち振って、大勢の中へ走り懸かり、


五尺三寸び太刀に、樫の木を八角に削り、
長さ一丈二、三尺もあるであろうと思われる棒を振り回して大勢の中に走り懸かって、
というような意味です。


鉞を奪はん、奪はれじとねぢ合ひける程に、
蛭巻したる橿の木の柄を中よりふつとねぢ切つて、
手元は長山にが手に残り、鉞は氏範が左の手にぞ留まりける。


鉞(まさかり)を奪おう、奪われまいと、ねじって引き合ううちに、
蛭巻を施した樫の木の柄を中ほどからぶっつりとねじ切って、
手元のほうは長山の手に残り、鉞は氏範の左の手に残った。
というような意味です。
赤松氏範と長山遠江が鉞(まさかり)を奪いあって樫の柄をねじ切った場面です。

軍記物の中には、カシやカシワなどのどんぐりの木が、
武器や武器の柄などとしてしばしばでてきます。


<ナラ>
森備中守が戦場から戦わず逃げ出したことを揶揄して高札に書かれた狂歌の中に、
ナラがでてきます。
・楢の葉のゆるぎの森に居る鷺はみやまおろしに子をや鳴らん

ゆるぎの森に住んでいる鷺は、深山おろしの寒さに鳴いていることだろう。
というような意味で、森備中守が鷺にたとえられています。
ここでは、楢の葉の、は風で葉がゆれることから、
ゆるぎのを続ける序詞のような役割と考えられます。


<おまけ>
・樫鳥縅の鎧
樫鳥縅の鎧(カシドリオドシのヨロイ)というのがでてきます。
かし鳥(樫鳥)とは、今のカケスのことで、
(どんぐりをよく食べるからでしょうか、昔はカシドリと呼ばれていました。)
カケスの羽の色の白・黒・藍の糸を組み合わせて縅とした鎧です。

・巣父(そうふ)
以前、ここで触れたことのある中国の許由巣父の説話が中で紹介されています。

御伽草子のお話のひとつ「浜出草紙」の中にでてくる、
巣父の椎ということばの意味は、まだわかりません。
許由の方は、封神演義の中で、申公豹として登場するぐらいの有名人みたいですね。

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「曾我物語」の中のどんぐりの木
2009 / 09 / 22 ( Tue )
曽我物語(鎌倉時代初期の仇討ちを題材に後にかかれた物語)の中には、
シイ、カシワ、ナラ(ははそ)がでてきます。

<シイ>
椎の木三本を小楯に取り・・・

椎の木三本を盾として・・・という意味です。
 
椎の木三本に隠れて待ち伏せして命を狙っていたのです。
仇討ちの元、曽我兄弟の父である河津祐通(祐泰)が暗殺された場所は、
「椎の木三本」といわれています。
残念ながらその椎の木はもう枯れてしまったそうです。


<カシワ>
柏原にうち臨みて見るに、廻廊百町ばかりとうち見えたる。
柏木高く、馬の草腋・皮腹に付くほどなるに、茂く生い立ちて自ら優なりけり。


柏の木の生えている野原に出てみたところ、百町ほどの広さとみえた。
柏の木が高く伸び、馬の胸先や横腹につくほど密生して、どことなく風流であった。
というような意味です。

行縢の鰭の立ちたるほどなる柏木どもなれば、馬の足を地にも付けず

行縢の鰭(馬に乗るときに足を覆う履物)
が持ち上げられるほどに茂った柏木であったから、馬の足を地につけないほどに、
というような意味です。

熊は右の肋骨を懸けず、づんと射通して、矢は柏木にしたたかにぞ立つたりける。
熊は、一足も引かずしてどうどまろぶ。やがて、留めを刺しにけり。
「熊をば人に見せん」と皮ながら持たせつつ、
柏原にうち臨みて見れば、各々、此彼に酒宴してぞ居たりける。


熊の右のあばら骨を、無造作にさっと射通して、矢は柏木に強く立った。
熊は一歩も進まずにどっと転がる。すぐにとどめを刺した。
「熊を人に見せよう」と皮をはがずに下人に持たせて、
柏原に行ってみると、各々が、あちこちで酒宴をしていた。
というような意味です。

柏原の柏の木そんなに背の高いものではないようですね。
今の、柏原の私のあくまで個人的なイメージでは、
開けた草原に、ある程度大きく育った柏の木がぽつぽつと生えている。
その周りに草の間から背のまだ低い若木がたくさん生えてきている。
若木は柴狩りで刈り取られるので柏原が維持されている?
というような感じです。


<ナラ(ははそ)>
高麗寺の松原を眺めて、十郎、
・足引きの 山うち越えて 明日よりは 柞の紅葉 妹や嘆かん
五郎これを聞きて、涙ぐみて、
・足柄の 峰の嵐に 類へつつ 葉はありながら 枝ぞ散り行く


高麗寺の松原を眺めて、十郎、
・私がこの山を越えると、明日からは母や恋しいあの人が嘆くことになろう
五郎はこれを聞いて、涙ぐんで、
・(われわれの運命は)足柄の峰の嵐に吹かれる木のようだ。
母をこの世に残したまま我々は死んでいくのだ。
というような意味です。

五郎の辞世の句にも柞(ははそ)がでてきます。
・富士の嶺の 梢も淋し 故郷の 柞の紅葉 いかが嘆かん

富士山にはえる木の梢の枯れて落ちる葉のような子供の私も淋しいが、
古里では柞の木も紅葉しているだろうに、母上はどれほど嘆くことだろう。
というような意味です。

和歌では、柞葉の(ははそはの)枕言葉になっています。
これらの歌のように、柞(ははそ)をかけて詠まれることは多いです。

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「吉野詣記」の中のどんぐりの木
2009 / 09 / 20 ( Sun )
吉野詣記には、柞(ははそ)の森がでてきます。

<ナラ>(柞(ははそ)
泉河のあたりうち過ぎ、柞(ははそ)の森に至りて、
春にだに 柞の森は よそよりも 分きて霞も 薄き色かな


泉川の辺りを通り過ぎ、柞の森に到着して、
・柞の森は春でさえもよそよりは格別で、霞の色までもが薄緑であるよ。
というような意味です。
「柞の森」については、更科日記の記事などを参照してください。

「柞の森」(ははそのもり)は地名なので、それがでてくるだけで記事をかくのは今後はやめて、
「柞の森」(ははそのもり)という記事をつくり、
これからは、「柞の森」(ははそのもり)がでてくるものはそこに追加していくようにします。

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「道行きぶり」の中のどんぐりの木
2009 / 09 / 19 ( Sat )
道行きぶり(室町時代初期の紀行文)の中にはナラ、カシワ、シイがでてきます。

<カシワ><ナラ>
またの日は、大山といふ山路越え侍るに、
紅葉かつがつ色付きわたりて、柞(ははそ)・柏などうつろひたり。


翌日は、大山という山道を越えたところ、
紅葉がはやくも一面に色づいて、柞や柏などの葉も紅葉していた。
というような意味です。

<シイ>
所狭き紅葉の色濃く見渡されたる中に、椎の葉の嵐に白く靡きて、
松の声、山川の音に響き合ひたる朝朗け、身にしみて覚えたり。
・とにかくに 知らぬ命を 思ふかな 我が身五十路に 大野中山
・昔誰 蔭にせむ と蒔く椎の 大野中山 かく繁らむ
古集に侍るやらん「向ひの岡に椎蒔きて」といふことの、
ふと思ひ出て侍りてよめるなるべし。


あたり一面の紅葉の葉が色濃く見渡される中に、椎の葉ば嵐に吹かれて白くなびき、
松風の声と山川の音が響き合って聞こえてくる明け方は、身にしみて情趣を感じた。
・明日をも知れないはかない命のことをあれこれ思うことだ、
我の齢も五十路にかかって、この大野中山を行くと。
・昔いったい誰が陰にしようと蒔いたものであろうか、
大野中山にこのように繁っている椎の木は。
万葉集にあったと思うが、
・片岡の この向つ峰に 椎蒔かば 今年の夏の 陰にならむか
(片岡山のこの向こうの丘に椎の実を蒔いたら、今年の夏の日陰になるだろうか。)
という歌のことをふと思い出して詠んだものである。
というような意味です。

椎の葉が白くなびきというのは、風で葉の裏(茶白色)が見えている様子でしょうか。

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