「曾我物語」の中のどんぐりの木
2009 / 09 / 22 ( Tue )
曽我物語(鎌倉時代初期の仇討ちを題材に後にかかれた物語)の中には、
シイ、カシワ、ナラ(ははそ)がでてきます。

<シイ>
椎の木三本を小楯に取り・・・

椎の木三本を盾として・・・という意味です。
 
椎の木三本に隠れて待ち伏せして命を狙っていたのです。
仇討ちの元、曽我兄弟の父である河津祐通(祐泰)が暗殺された場所は、
「椎の木三本」といわれています。
残念ながらその椎の木はもう枯れてしまったそうです。


<カシワ>
柏原にうち臨みて見るに、廻廊百町ばかりとうち見えたる。
柏木高く、馬の草腋・皮腹に付くほどなるに、茂く生い立ちて自ら優なりけり。


柏の木の生えている野原に出てみたところ、百町ほどの広さとみえた。
柏の木が高く伸び、馬の胸先や横腹につくほど密生して、どことなく風流であった。
というような意味です。

行縢の鰭の立ちたるほどなる柏木どもなれば、馬の足を地にも付けず

行縢の鰭(馬に乗るときに足を覆う履物)
が持ち上げられるほどに茂った柏木であったから、馬の足を地につけないほどに、
というような意味です。

熊は右の肋骨を懸けず、づんと射通して、矢は柏木にしたたかにぞ立つたりける。
熊は、一足も引かずしてどうどまろぶ。やがて、留めを刺しにけり。
「熊をば人に見せん」と皮ながら持たせつつ、
柏原にうち臨みて見れば、各々、此彼に酒宴してぞ居たりける。


熊の右のあばら骨を、無造作にさっと射通して、矢は柏木に強く立った。
熊は一歩も進まずにどっと転がる。すぐにとどめを刺した。
「熊を人に見せよう」と皮をはがずに下人に持たせて、
柏原に行ってみると、各々が、あちこちで酒宴をしていた。
というような意味です。

柏原の柏の木そんなに背の高いものではないようですね。
今の、柏原の私のあくまで個人的なイメージでは、
開けた草原に、ある程度大きく育った柏の木がぽつぽつと生えている。
その周りに草の間から背のまだ低い若木がたくさん生えてきている。
若木は柴狩りで刈り取られるので柏原が維持されている?
というような感じです。


<ナラ(ははそ)>
高麗寺の松原を眺めて、十郎、
・足引きの 山うち越えて 明日よりは 柞の紅葉 妹や嘆かん
五郎これを聞きて、涙ぐみて、
・足柄の 峰の嵐に 類へつつ 葉はありながら 枝ぞ散り行く


高麗寺の松原を眺めて、十郎、
・私がこの山を越えると、明日からは母や恋しいあの人が嘆くことになろう
五郎はこれを聞いて、涙ぐんで、
・(われわれの運命は)足柄の峰の嵐に吹かれる木のようだ。
母をこの世に残したまま我々は死んでいくのだ。
というような意味です。

五郎の辞世の句にも柞(ははそ)がでてきます。
・富士の嶺の 梢も淋し 故郷の 柞の紅葉 いかが嘆かん

富士山にはえる木の梢の枯れて落ちる葉のような子供の私も淋しいが、
古里では柞の木も紅葉しているだろうに、母上はどれほど嘆くことだろう。
というような意味です。

和歌では、柞葉の(ははそはの)枕言葉になっています。
これらの歌のように、柞(ははそ)をかけて詠まれることは多いです。
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