徳冨蘆花とどんぐり3
2012 / 02 / 27 ( Mon )
蘆花の作品から、どんぐりやどんぐりの木に関連する表現を
すこし抜粋してみました。
(「」内は作品名、その後に抜粋した部分)

・どんぐりの擬人化
「みみずのたはこと(水車問答)」
 昨日の記事参照してください。

・どんぐり(樫、楢の実)食、椎の実食
「寄生木」
・・・常食は穀類が少なくて、栗或は楢橡(ならとち)の實が多い。

「思出の記」
或日二三の友達と山に椎拾いに行つて・・・
「自然と人生」
裏の小山に椎拾の遊をなしけるに、・・・
「死の蔭に」
椎の實炙って売っている姿を見かけ・・・
「みみずのたはこと」
…女児が其下で大きな椎の実を一つ見つけた。(2011.7.31の記事参照)
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蘆花の作品では、東北の貧しい山村での常食としての楢の実、
おやつとしての椎の実が何回かでてきます。
蘆花の子供時代の熊本の家には椎の木が植えられていたそうですし、
山に椎拾いに行ったこともあったのでしょう。

椎の実食は、結構多く日本の作家の作品の中に見ることができますが、
どんぐり(樫、楢の実)食は、宮沢賢治の作品以外にはあまり多くは見られません。
(でも他の作家の作品にも、長野県のどんぐり味噌に触れているものや、
戦後食糧難の時、どんぐりを集めさせられたことに触れている興味深いものもありますよ。)

・どんぐりグッズ
「死の蔭に」
白橿の葉の枝折(しおり)、  *奈良の橿原神宮のみやげ
「日本から日本へ」
店番の紐育(ニューヨーク)娘が色ついた槲の葉を花束に取りつけて居る。
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奈良の橿原神宮のおみやげに、白樫の葉のしおりはまだあるのでしょうか?
素朴でよいおみやげだと思うのですが。もうなくなっているかな?

・有名などんぐりの木
「順禮紀行」
余はヘブロンの「アブラハムの橡(かし)」なるものを行きて見ず、
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「アブラハムの樫の木」は、旧約聖書創世記に登場した樫の木とされている木で、
去年、出版された旅行ガイドの本(イスラエル聖書と歴史ガイド
にも掲載されていますので、今もおそらく健在でしょう。
実際は、樹齢850年位で、12世紀頃に定められたそうです。
(・・・見ず、ですから蘆花はこの木を見にいってはいないです。)

・例え言葉:眼(目)、鼻
「黒い目茶色い目」
團栗の様な眼を圓くしてよく喫驚した顔する宗さんと、・・・
「死の蔭に」
椎の實の眼を小さく圓くして・・・
「冨士」
昔椎の實程に小さく窪くあいて居た両目はひたとつぶれ、・・・
「みみずのたはこと」
椎の実程の小さな鼻が右へ歪みなりにくっついて居る。・・・
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驚いたまるい眼をどんぐりの様というのは、
今でもよく使われる、団栗眼(どんぐりまなこ)と同様の表現ですね。

椎の実を目、鼻に例えるのは、他の作家ではほとんど見たことがありません。
イメージはなんとなくわいてきます。
このような表現をからも蘆花の椎好きがわかるような気がします。
以前、ここで以前紹介した水上勉さんなど、椎好きな作家はわりと多いです。

・例え言葉:槲の木がなかなか枯葉を落とさない
「新春」
ツールゲネフが書いて居ますね、*1
槲の新芽が膨らむまで梢にこびりついて中々落ちない古葉の習性を。
注意深い自然は、古葉に自愛させて、新しい芽を保護させます。・・・
・・・「ドリヤ一つ俺もと樫の更衣(ころもがへ)」。
落葉木は去年の内にさつさと着物を脱いで、夙(とほ)の昔赤裸で居ます。
然(しか)し樫などは、年が暮れ年が明けても其まゝで、
最早気早の落葉木の一斉に若緑の春衣を着てしまふ頃になり、
よく云えば落ちついた、悪く云へば大のろの樫は、
やつとぽつりぽつり古葉を落としては。更衣を始めます。
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蘆花は、ツルゲーネフの作品の中の表現に触れ、
槲のなかなか落ちない古葉を父に、新しい葉を自分に例え、
父の愛について記述しています。
また、常緑樹の樫の葉の古葉と新葉の入れ替えの様子も観察して書いています。

*1:ツルゲーネフの「ルージン」の中の表現と思います。
(文中に作品名は書かれていませんが)
現在の岩波文庫、当時の二葉亭四迷の訳、
志賀直哉のメモにもこの部分に触れたところがあったので紹介します。
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ツルゲーネフ「ルージン」岩波文庫 中村融訳

樫の木はね、これは堅い木ですね、
そして若葉が出はじめるとはじめて古い葉が落ちるでしょう?

ええ、気がついておりますわ とナターリアがゆっくり答えた。

強い心の中にある古い愛情の場合もこれとまさに同じなのです。
その愛はもはや枯れ死んでしまっているのですが、まだくっついています。
そして別の、新しい愛だけがそれを取り除くことが出来るのです。
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二葉亭四迷「うき草」(ツルゲーネフ 「ルージン」の訳)

「樫の -樫は堅い木ですな- 
樫の葉は若いのが芽を出す時分でなければ古いのが落ちませんな。」

「然うですねえ、」とナターリヤは思切り悪くいふ。

「しつかりした人の戀愛も然うしたもので、古い戀は最う枯れがれになつてゐる、
けれども尚ほ付着(くつつい)てゐる。
たゞ別に新しい戀が芽を出すのでなければ散らん。」
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志賀直哉のメモ(志賀直哉全集におさめられている手帳の中のもの)

ルヂンに、樫の木の例へがある、樫の葉は、既に枯れても中々落ちずに居る、
然し若芽が出る時になればいやでも応でも散つて了ふ、
人の恋も前の恋人に対し恋其者はサメても、
新しい恋人が出来るまでは枯葉が枯れても枝を離れずに居るやうに、
男の心にクッツイてゐるものなり、云々、
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(ここで樫と訳されているのは、
実際には日本でいえば楢や槲で、ヨーロッパナラかそれに近い種の落葉樹です。)

ツルゲーネフは、男?の恋愛上の心を枯れても落ちない葉に例えているようですね。

この、どんぐりの木の枯葉がなかなか落ちないというのは、
冬の、幹や枝だけの寂しい木々の中で、枯葉をまとっている姿は目立つのためか、
他の日本の文学作品(いくつかここでも紹介済みです)や外国のものでも表現に用いられたり、
情景が描写されることがあります。
(外国の作品では、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」などにもあったと思います。)

このまだ寒い時期、公園などで枯葉をつけたままの木をみかけたら、
近づいて樹種を調べると、どんぐりの木のことが多いですよ♪

私も近所でまだ枯葉をつけたままのカシワやクヌギの木を何本か知っています。
去年観察していた木では、冬の間の強風にも耐えてしっかりとついていた枯葉が、
温かい春の日差しを受けはじめると、
ある日、突然それまでがウソかのようにいっせいに散っていきました。
イソップ寓話「北風と太陽」での旅人が、太陽で温められてコートを脱ぐようでした。

どんぐりやどんぐりの木を用いた表現については、HPやここでも以前書いていますが、
他にもいろいろありますのでそのうち、機会があればまとめてみたいと思っています。
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